MY THOUGHT,MY WILL

とある京都大学生の思考日記。

脱げるようになりたい。

「街中で脱げるようになりたい。」

 

僕は近頃ずっとこう思っている。

 

勿論、実際に脱ぐわけじゃない。流石にそこまでキチガイじゃない。でも、その精神状態は身につけたいし、ある意味人間に必要なものだと思う

 

実際に街中で露出狂が現れるシチュエーションを想像してみよう。昼間の河原町、子供から社会人、老人まで色んな人混みでゴミゴミしている状態、その中で突然自分の性器を露出する人がいたら、当然人々は奇異なものを見る目でその人を見て、嫌悪し、軽蔑し、触れようとしないと思う。拒絶しようとするはずだ。

 

でも、それってとてつもなく強い意志がないとできないことだと思わない?

人間、特に日本人って世間体を気にして、周りの雰囲気ってのもをすごく大事にするじゃん。

勿論、それも大事だし、欠かせないことだと思う。でも問題なのは周りを気にしすぎて自分の言いたいことを押さえ込んだりやりたいことができなかったり、更には周りとズレたことをしてしまった自分を責めたり、そんな状態になってる人って多いってこと。

 

実際に僕なんか

 

サークルの運営会議でサークルの雰囲気には反している、けど自分が面白いと思った案を言えない。

 

いざストリートにナンパに行っても周りの目線が気になって思うように口説けない。

 

酒でやらかして、ボロクソに言われて自分を責め立てる。

 

周囲のことを気にしてあまりにも自分の可能性を制限しているんじゃないかなー。って後悔することばっか。

 

対して露出狂は「脱ぎたいから脱ぐ。」、周りのことなんか気にしない。他人に嫌われようが、女の子に軽蔑されようがどうでもいい。自分の意志が世間体を完全に上回っているんだよね。行動力、決断力の面ではどんな人間よりすごいと思う。その面では露出狂は本当に尊敬する

 

勿論自分のためだけに他者に迷惑かけていいとは思わないし、当然、露出狂も許されることじゃない

でも、自分の人生の主役はあくまで自分、他者じゃないんだよね。たとえ周りに拒絶されても、嫌われても自分の意志を押し通すその力って人生を楽しく、自分らしく生きる、魅力的になるには一番不可欠なんだよなぁって、自分をPRしなくてはいけない機会が多くなった今になって心から気付かされる。

 

僕は自分に強固な意志があるわけじゃないけど、人生21年ちょっと生きてきて、周りとの人間関係を中心に自分について悩むこと多くてメンをヘラせてたのを、「この世は自分が中心に回っている。」って考えてみることで、周りじゃなくてあくまで自分が「どうなりたいんだろう?」、「どうすればいいんだろう?」ってちゃんと向き合えるようになって、自分を責めてメンヘラすることがなくなったし、それは自分の進歩だなって素直に自分を褒めたい。

 

人生少し自分勝手なくらいが一番楽しいし順調にいくよ。最近実感する。